海を織る 藍染と織物

蓼藍を育てています。染めたり織ったり縫ったり

聖夜の贈り物

24日の夕方、定期的に会っていた友人からいろいろな楽しい贈り物の入ったレターパックを受け取りました。

 

そう、彼女から借りていた カズオ イシグロのクララとお日様をまだ読んでいなかったのです。

 

宵の口に寝て夜中に起きだすので、一晩かけて読みました。

 

古風なショーウインドーとアルコーブを持ったお店では、姿も脳もヒトと変わらないロボットが売られています。順番に日の差すショーウインドーに出されるのを心待ちにする彼女たち。人と人との交流が妨げられている世の中において、少女や少年のロボットは思春期の子供の成長に必要な親友の役割を期待されています。

ショーウインドウに出されてつぶさに社会を観察してセルフを発達させているクララとクララを一目みて気に入った少女ジョジ―が主人公です。

 

現実の世界では、コロナの間とくに、人がペットを求めました。それはとても必要なアクションだったのではないかと思います。その切実さと重なるような社会が物語の背景にあるようです。

 

子どもたちの多くはオンラインの学習によって成長を支えられ、学校という社会の存在価値は失われているようです。物理的距離は離れている隣家の少年リックは、ある処置を受けずに成長しているために、階層的に劣位に置かれているようです。

近年都市圏では私立中学への受験熱が高まっています。こんなに暮らしが貧しくなっていっているにもかかわらずです。格差社会に対する人々の動物的カンのようなものが子どものお受験を支えているのではないかと私は思うことがあります。

 

ジョジ―には姉がいた記憶がありますが、どうやらその姉は知的機能の処置を受けたため病身となり亡くなっています。そのためか母は常にピリピリして娘の環境を完全に掌握してコントロールしようとします。その一方コントロールの行きすぎを抑制しようともします。そのほうが娘の成育によいと考えているから。

 

子どもの成長はかなりの部分環境によって統制できると考えられているようです。

ジョジ―の健康も損なわれていきます。そばについていて一つ残らずジョジ―のことを知って適切な対応をしようとするクララ。一日に半時間だけそばにいることが許可されている隣家のリック。

 

リックとジョジ―は2人だけの子どもどうしとして成長し、いつか2人の計画を実行しようとしています。クララは2人のやりとりをそばで聞き取ります。

 

クララは窓から日が差すのを見ます。それはクララにとっての食事であり、この世で受け取る恩恵です。近未来小説かと思われますが、ここからクララの直観的知性が深い原始的な信仰に近づいていきます。

 

ずっと以前、数マイル先の納屋にリックとジョジ―がたどり着いたときのエピソードと窓からその納屋に向けて日が落ちていく様を観察するクララは、ジョジ―を掬う手だてを見出します。合理的な説明を拒否するような計画はクララにとって確信です。

 

近未来の極度に精度の高い合理的な判断とは異なる、私たちが根源的に有している、有していた直観をクララは獲得したのでしょうか。

 

ジョジ―の病態は悪化をたどり、今日明日の命となります。ジョジーの母は、ジョジ―には肖像画を描いてもらうと説明し、正確なジョジ―の現身を作成する計画を実行しています。その際クララの脳のコンテンツや機能を持たせようとも考えています。主人の命に逆らうことをしないクララは、可能な限りジョジ―に近づくことができると申し立てます。

 

その一方でだれにも説明できないし、言葉にしないことで目的に近づくと感じた方法、

二酸化炭素を作る機械を破壊しその一方で荒野のはずれの農家の納屋に太陽が休息するときに願いを聞き届けてもらうという計画をリックとジョジ―の父親の助けを借りて実行します。リックがその時ジョジ―を愛していることが祈りを支える条件のようです。

 

合理的な説明は全くなく、翌日の朝、クララは回復します。

そして、ジョジ―は以前は近づこうとしなかった知能の処置が済み大学に進学する女子たちと親密な関係性を育て、リックは未処置であっても大学に進学するチャンスを捨てて独自のやり方でドローンの開発に取り掛かっていきます。2人の子ども時代の計画は実行されることなく、完結したようです。

 

結末まで書いてしまうとこれから読む方の妨げになるでしょう。

クリスマスイブの午後4時、陽が落ちるころに配達された友人からの様々な贈り物のパック。返していなかった本を思い出して、その夜読んで迎えたクリスマスの朝。

 

 

ふさわしい時に、ふさわしい本を読むことができました。