あんぱんから心旅

老犬を1人にしておけるのは、1時間半くらいかな。午前中は1人で充足して起きたり寝たりしていますが、午後にはいろいろ思うところあるらしい。例えば、しっかりトイレに行きたいのに飼い主は気づかないとか、目がしっかり覚めてるけど音も聞こえないし外界は真っ白なモヤの中、そんなことに気づくのじゃないかしら。
朝の5時ごろにはいろいろ済ませた犬は二度寝に入ります。私は洗濯して庭の水撒きをして、ゴミを捨ててざざっとそうじをします。七時のニュースには、気が滅入ることが多いのですが、7時半には衛星放送に変えて、活躍を始めた頃のやなせたかしさんを楽しみます。
詩の本が毎月発行されていたのも、今から思えば昭和ならではのことだったのかも。詩集は学生が愛読したり愛読してるフリをする必須アイテムでした。
衛星放送は、聴き慣れた女性の歌ごえで主題歌を流します。火野正平さんが、カラフルな外着を着てチャリおを軽やかに押して微笑んできます。
良い男だなあ。死ぬってどういうことなんだろう。こうやって火野正平の元気で誰にも優しい色気を見て、多分明日もその姿を見ることができる。
今は、芸能界や著名な方だけかもしれないけれど、そのうち、社会の片隅にいる私たちまでも、AIで生かされて、新しい言葉を吐くのかもしれないな。
火野正平だけでいいよ。
良性発作性頭位めまい、と思われる、👀まい

情けない薬の山ですが、強い薬ではなく、むくみを取る利尿剤と、メリスロンです。
自分の病気をわざわざあげるのもどうかと思うのですが、この症状はかなり激越です。でも、原因はほぼ老化と偶然。治るのは慣れとやはり偶然。
誰にでも起きうるし、最初に遭遇したら驚きます。あげておくのも役に立つかも知れません。
今回は3日前の午前0時すぎ。目が覚めたら気持ちが悪い。いやあな気持ちの悪さで頭を振るとさらに吐き気がします。トイレにも行きたくなりました。お腹を下すということでもないけれど、脳が体の中のものを排出したがってる。
前日というか数時間前の夜は、果物程度で早めに食べ終えていたので胃の中は空っぽです。
体の向きを変えたり頭を巡らしたりした途端に、ぐっとくる猛烈な吐き気。
知ってるわ。二十数年前、朝目が覚めて天井をみたら、昔の映画の手法のように、天井がきれいにグールグール回っていました。
いつもより多めにまわっています、という特別感でもって回り続けます。気持ち悪さとともに、なんかすごく面白いもの見てる感がありました。自分が動いてないのに天井が大きく回る。
起きあがろうとして頭の向きを変えると猛烈な吐き気、気持ち悪さ、仕方なく目を瞑り落ち着く姿勢のまま固まりました。
家人に頼んで病院まで連れて行ってもらいました。脳に🧠大きな問題が起きたとしか考えられませんが、めまいは耳鼻科に。念の為大学病院です。
歩けないし、歩くと吐き気。でも、いくつか検査を我慢して、良性発作性頭位眩暈でしょうと診断がおりました。
今から思うとメニエールとの判別は難しいこともあるのだそうです。
耳石というものが剥がれ落ちる。そしてこれは単純に老化に伴うもの。その頃40代でした。
耳石は通常剥がれ落ちる場所でなく、三半規管に落っこちる。これは単なる事故。
すると三半規管の中をあちこちぶつかる耳石により、自分の空間内の位置を見失う状態に。
医学的に正しくないかもだけど、そんな感じ。
耳石を三半規管からなんとか出て行ってもらうために、気持ち悪さを我慢して頭をあちこち動かす体操をしましょうと教えてもらいました。
大抵は自然に治りますとのこと。
勝手に回り出す天井、というか、ほんとに自分の目がぐるぐる回っていました。体内の偶発事故により。でも、経験したことのないような猛烈な吐き気と立ち歩けないふらふら感。
薬はベタヒスチンメシル酸塩錠という錠剤のみ。首から頭にかけて耳の周辺の血流をよくするものと説明を受けました。今回はむくみを取るための利尿剤も出ました。
二十数年前確かに薬を飲むと少し楽になりました。悪いものではないし、少しずつ動きなさいとのこと。
脳内の大きな問題ではないらしいとのことで、とりあえず気持ち悪さをかこちながらすごしました。3日くらい不自由に苦しみましたが、やがて少しずつ吐き気もおさまり、通常が戻りました。
数年に一回くらい軽い症状があり、耳鼻科でもらった薬は日々携帯してました。どこでどんなふうに頭を振って、その症状が出るかわからないですから。
そういえば、人の言うことを聞かない性格のせいかも、知らず知らずのうちにNOて頭を必要以上に振っていたのかも!
今回久しぶりにかなり重い吐き気がしました。今、発症から78時間ほど。目眩や気持ち悪さ吐き気は、しばらくじっとしていたあと動き出した時にぶり返します。でも、日常にもどっています。ただ、昨日の夜から首が固定されたように凝った状態です。このコリはなんだろ。無意識に頭を固定し続けたせいかもです、ら
心配ない症状だけど、初めての時は本気で天地がひっくり返ったかと思います。
メニエールや他の脳疾患との見分けの難しさもあるようなので、良性の疾患ながら検査可能な病院に行くのが良いようです。
失礼
しらすトースト
海街ダイアリーに影響をうけました。

吉田秋生さんの、海街ダイアリーに影響をうけました。気がつくと物語をなぞるように晩年の新しい暮らしを立てています。
しらすトーストは、気難しいところのあるマスターの喫茶店の人気メニューです。
鎌倉に住んでいた頃の父と母の影をたどるうちに、少女が生まれ育った仙台の食卓に出たしらすトーストに行き着いていくのです。少女は昭和の匂いのする喫茶店にいた父と母の姿を感じとります。
登場人物は、何らかの葛藤を抱えてはいるものの、日々の暮らしをユーモアに捉えて活動的に生きています。父母の不倫という後ろめたさのあったしらすトーストは、その美味しさによって少女と少年の幼い恋のメニューとなり、やがてサッカーのチームメイトとも共有されます。
美味しいことは、人と人の営みの良し悪しなんて軽く超えてしまう。
しらす好きのマスターは、やや変人。後ろめたい過去を悔いて生きているのですが、それゆえ、人がどうしようもなく追い詰められたときには、そのそばにしっかり寄り添うことができるのです。
しらすトーストはどうやら、バターを上に載せてあるようです。季節のしらすは腰越漁港で水揚げされます。腰越の漁師一家の女の子は少女のチームメイトで、力強いゴールキーパーです。
この二人にも、恋をめぐる小さなぶつかり合いが生じます。しらす、やるな。
鎌倉では、意外にも魚屋さんが少ない。肉屋は目につくのに、です。しらすは禁漁期間以外、漁船が経営するらしい民家と思しいところで手に入ります。パック170グラム,いくつか冷凍庫にストックしてあります。
薄切りの食パンを少し焼いてその上にしらすをてんこ盛りしてマヨネーズかチーズを置いて、またトースト。最後にバターを乗せてほんの少し焼いて。
炊き立てのご飯にしらす丼。遠くから来てくれた友人には、これだけで喜んでもらえました。炊き立てご飯にしらすたっぷり、大根おろしとお醤油。
おしゃべりなお店開店しました。


minneにお店を開きました。
商品の説明欄が読み物!
ショップの紹介がショートストーリー
実店舗ならば、客が辟易するおしゃべりな店主!
遊びに来てください!
生姜の甘酢漬け

保存食
家事全般はあまり得意でないのですが、瓶詰めの保存食作るのは大好きです。安売りチラシを見て、初めてスーパーのヤマカに行きました。新生姜出ていたので早速甘酢で漬けました。
細かく刻んでおいなりさんに入れたい!
海を織る
自分で育てた藍で布を染める
長いこと染色やっておられるんでしょうね、と必ず人から言われます。はい、もうずいぶん長くと答えたいのだけど、じつは勤め人を辞めてから、ここ数年のことです。
たまたま手に入れた根のついた藍の一株。この草は根がなくても枝を挿せば根が出そうと踏んだのだけど、藍の工房の方が説明のために抜いてあった株をそのままくださったのです。
一年草の終盤の状態。確か九月。まもなく花は結実し、落ちた種から小さな双葉が出ました。
南向きの2階ベランダは日当たりが良い。こぼれ種の双葉は、冬に向かっているのに成長していきました。翌年春先には成長して枝分かれし、さらに根本には茎の赤い双葉がいくつも芽を出していましま。それを一つずつ株にしていきました。その年、おっかなびっくり染めてみました。11月までに、100回以上は染めました。古い着物を解いてその胴裏を素材にして。
ほんの数年の経験しかないのだけれど、ずっと長い間、草で染めてみたかったし、そこに向かうような生き方をしていたように思います。
子供の頃、祖母と伯母が棟続きに暮らしていて、母には居心地の良い家ではありませんでした。父は見て見ぬふりをしていましたが、週末に、母の好きな野山に家族で出かけるのを習慣にしたのは、母を少しでものびのびさせてやりたかったからだと今ではわかります。
山の花を折っては小学館の植物図鑑で調べるのが日曜午後の楽しみでした。当時、街近い山は次々に開発され宅地に変貌していたので、山に咲く花の枝を折りとることも、草の株を掘りとることも、必ずしも自然破壊と言えない状況でした。
その延長に、藍を育てて染める暮らしがあったのでしょう。というか、勤め人の暮らしの地下道にずっとつづいていたのだとおもいます。

